一瞬で、本棚の中の本は全て棚から落ち、皿は半数が割れた。キッチンの砂糖と塩は床にぶち撒けられ、ぶんすけのカゴは落ちて斜めになっていた。
ぶんすけのカゴが落ちた瞬間、(地震だ!)とようやく認識し、斜めになっているぶんすけのカゴの元へ走り、カゴを真っ直ぐにした後、押さえていた。怖かった。本当に怖かった。
地震が収まった後、私の目の前はこの状態だった。
鉄骨のボロマンションの6階は、私の想像を超える揺れ方をしていた。今まで戸建でしか地震に直面したことのなかった私は、こんなにも揺れるものなのかと驚いた。
スマホの地震速報は揺れてから10秒後くらいに鳴った。鳴っていたが、もう地震に巻き込まれているのでそれどころではない。もう少し、せめて10秒前に予測してはくれないのだろうか。どうせ無理なら心構えをしたい。
電話回線が混み合っているようで会社には連絡がつかず、ぐちゃぐちゃの部屋を残していつも通りの出勤時間に出勤した。
出勤途中の阪急の線路には、緊急停止した阪急電車が止まっていた。人がぎゅうぎゅう詰めになっていた。
出勤してすぐに帰宅許可が出た。
帰宅していると、さっきの阪急電車から人がぞろぞろ出てきて、最寄駅に向かってみんな線路沿いを歩いていた。ぞろぞろと線路沿いを歩く人々の姿は、まるでゾンビ映画、もしくはウォーキング・デッドのような光景だった。
私は帰宅し、改めて部屋の惨状を目の当たりにした。
皿の破片は飛び散り、塩で床はジャリジャリする。文鳥の餌もたくさん飛び散っていた。この床を掃除するだけでどれだけ大変だろう。と思った。しかも片付けても余震が来るかもしれない。同じ震度の地震が来たら、せっかく掃除したのにすべてパーになる。泣きそうになりながら破片を片付け、本を平積みにし、掃除機をかけ、ティッシュを濡らして床を拭いた。
部屋はどうにか元の形に近づいた。
次は文鳥の避難を考えなければならない。
鳥かごではなく、ヒナの時に使っていたプラケースに新聞紙、餌入れ、餌、青菜、粟穂、水入れ、水、コットンに染み込ませた水を入れた。


コットンに染み込ませた水は、ツイッターでフォロワーさんが教えてくれた。ありがたい。
その間にもラインやツイッター、インスタなどで安否確認が届いた。みんなありがとう。
そのあとは自分の避難袋を作るため、近くのコンビニに向かった。
コンビニ内の客も保存がきく食べ物やお菓子、水分を求めて来たようだった。お茶がなくなっていた。
なんせ初めての震度6レベルの地震なので、災害意識が低く、何を買えばいいのかわからなかった。とりあえず保存の効くものや、糖分、水分を買った。
ツイッターでお風呂に水をためておけばいいというのを見たので、浴槽に水もためた。
モバイルバッテリーも満タンにしたし、ぶんすけもプラケースに移動させた。
仕事中の恋人から電話があり、安心して泣いてしまった。本当に怖かったし、心細かった。
恋人は出勤はできたものの、このままJRが動かなければ帰宅できないらしい。半日経てば動くとは思うが、とても心配だ。
ニュースをつけると、家の近くで3人亡くなっていた。
部屋の外は消防のサイレンの音が鳴り止まないし、ずっと報道のヘリコプターが飛んでいる。